「雨」にみる日本人の感性 2023年5月5日

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ページ番号1012553  更新日 2023年5月5日

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桜の開花宣言が日本列島を北上するころ、「今週は曇りや雨の日が多く、菜種梅雨(なたねづゆ)が続くでしょう。」という天気予報をしばしば耳にする。中学校の先生が、降り止まない雨の中で咲く校庭の桜を眺めながら、こんな天気を「菜種梅雨」というのだと教えてくれた。菜種梅雨とは、菜の花が咲く3月中旬から4月上旬にかけて、ぐずついた梅雨のような天気が続くことをいうのである。

さて、日本には「雨」ひとつをとっても四季折々に、また雨の降る状態によっても、実に多彩で情緒あふれる豊かな表現がある。季節による雨の呼び名をみると、春に降る雨を春雨(はるさめ)や催花雨(さいかう)などということもある。おおよそ6月頃(旧暦の5月頃)の梅雨時に降る長雨は五月雨(さみだれ)、夏の夕方に突然激しく降るのが夕立(ゆうだち)、秋にしとしとと降り続く雨を秋霖(しゅうりん)や秋雨(あきさめ)、今にもみぞれや雪に変わりそうな冷たい冬の雨を氷雨などと呼ぶ。

また、雨の状態を表したものでは、急に短時間で激しく降る群雨(むらさめ)やにわか雨、小降りの雨を小雨、風を伴う風雨(ふうう)、雷を伴う雷雨(らいう)、細かく降る雨を小糠雨(こぬかあめ)や霧雨(きりさめ)など、一説によると雨の呼び名は実に400以上あると言われている。実に多様な表現である。

さて、「雨」にまつわる数多くの俳句や短歌も、日本の豊かな自然や人々の活き活きとした営みを表現し、時代を超えて今も多くの国民に愛されている。松尾芭蕉の俳句「五月雨を あつめて早し 最上川」や、与謝蕪村の「秋雨や 水底の草を 踏わたる」などは俳壇や歌壇には縁遠い自分でも覚えがあるものだ。また、越中ゆかりの歌人である大伴家持の和歌「この見ゆる 雲ほびこりて との曇り 雨も降らぬか 心足ひに」や、石川啄木の短歌「雨に濡れし 夜汽車の窓に 映りたる 山間の町の ともしびの色」なども、言葉の意味や時代背景を調べながら、作者の気持ちや目にした風景、当時の暮らし向きなどに思いを巡らせるのも実に楽しいものである。

そもそも日本人は、古より自然への畏怖の念を持ち自然と共生してきたがゆえに、「雨」や「風」といった自然を構成する要素を感じたままに実に様々に表現し、豊かな感性を育んできた。そして、日々の暮らしの中で育まれてきた日本人の豊かな感性は、先人によって長い歳月を経て俳句や短歌、絵画などの芸術や文化にまで高められ、今も私たちの心の中に息づいているのである。その豊かな感性こそ、私たちが未来を担う子供たちに継承してゆくべき大切な宝物ではなかろうかと思うのである。

写真:桜
雨に濡れる桜の木

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