ふるさとは遠きにありて思ふもの? 2024年9月5日
「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの」は、詩人・室生犀星(むろおさいせい)の詩「小景異情(しょうけいいじょう)」の冒頭の句である。東京での仕事や生活がままならず故郷の金沢に帰省するが、必ずしも温かく受け入れてもらえず異郷の地で暮らすことを決意した犀星の悲哀を表現したものと言われている。故郷を離れ異郷の地で暮らす方々にとって、「ふるさと」への思いはさまざまだが、望郷の念は誰もが持っておられるのではないか。
さて、「東京富山県人会連合会」の新会長である大田弘(おおたひろし)さん(宇奈月町出身・元株式会社熊谷組社長・現富山県立魚津高校同窓会長)が、県人会総会の挨拶で語られた望郷の念に大変感銘した。宇奈月の山村で生まれ育った大田少年は、黒部川第四発電所建設の難工事を描いた物語、映画「黒部の太陽(1968年公開、石原裕次郎(いしはらゆうじろう)・三船敏郎(みふねとしろう)主演)」を観て感動し、これなら田舎者が都会の人間に勝てると一念発起し、土木の道を志したのである。熊谷組に入社後40年間は故郷のことを一切振り返らず、一心不乱に仕事にまい進してきたが、今は東京と宇奈月を往復する生活を送っておられる。ご本人いわく「田舎を捨てた不届きものであるにも関わらず、集落の方々は何事もなかったかのように自分を温かく受け入れてくれた。本当に嬉しかった。」とのことである。
また、大田さんが子どもの頃、庭になっていた3つの柿の実を祖母におねだりしたところ、「一つは食べて良い。一つは鳥に食べさせる。そして最後の一つは土に返す。」と言われたという。小学校での教育が受けられず、読み書きができなかった祖母から人の生き方の原則「共生(ともいき)=利他心や道徳心」を教わり、歳を重ねるにつれてご自身の中でこの言葉が増幅しているとのことである。最後に、「県人会のありようも時代と共に変わりますが、富山という共通の話題で集う人々が、お互いの多様な価値観を共有し豊かさの質を転換する。富山県人会が、まさに共生(ともいき)回復の架け橋となるよう願っています。」と結ばれたのである。深く心に残るスピーチである。
一方、8月初旬に大阪府で開催された「近畿とやま市友会」も、ふるさと愛に溢(あふ)れる温かい雰囲気に満ちていた。「朝乃山には、しっかりと怪我(けが)を治して頑張ってほしい。」「富山商業高校が甲子園で大活躍するよう応援している。」「いよいよ呉羽梨のシーズンだね。」「富山のきときとの魚が食べたいね。」など、望郷の話題は尽きない。旧制富山県中学校時代に経験した富山大空襲の惨状をお話ししてくださった92歳の大先輩は、今日の富山市の発展を大変喜んでおられた。来年もぜひお元気で参加いただきたい。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして嬉しくうたふもの」、訪れる方々を何時(いつ)も温かくお迎えできる、富山市がそんな「ふるさと」でありたいものだ。

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