通学路の思い出 2023年3月5日

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ページ番号1012161  更新日 2023年3月3日

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寒さは厳しいが星がきれいな夜である。久しぶりにJR高山本線の普通列車で帰宅した。富山駅の2番乗り場で乗車し最寄りの千里駅までは約20分あまりの時間、列車は住宅街を抜け田園地帯へ。高校時代と変わらず19時台の列車内は乗客も多く結構な賑わいである。ガタンゴトンと車内に響き渡る鉄軌道の心地よい響きと適度の揺れ具合も変わらない。変わったことといえば、西3番線が無くなったこと、4両編成の列車が2両編成になったこと、婦中鵜坂駅が新設されたことなどであろうか。ただ、昔の車内は高校生たちの賑やかな話し声で溢れかえっていたが、今はスマートフォンとにらめっこしている人が多く会話は少なくなったようだ。コロナ禍の影響と時代の流れとは言え、いささか寂しい気もする。

さて、当時の富山駅は現駅舎のようにお洒しゃ落れ ではなかったが、雑多で活気がある雰囲気が好きだった。しばしば空腹を我慢できずホームでかけそばを食べ、ステーションデパートの書店で立ち読みもした。現在の富山駅はすっかり様変わりし、近代的な駅舎へと生まれ変わった。北陸新幹線が開業し、北陸本線があいの風とやま鉄道へ、富山港線はライトレールへと進化し南北接続した。1階に南北自由通路が整備され、昔は遠く感じた駅の南北が近くなった。土産店や飲食店も充実し、駅中は様々なイベントで賑わい、富山駅が通過する場所から暮らしを楽しむ場所になったことは、誠に嬉しい限りである。

帰りの列車では、部活動の疲れから居眠りをして越中八尾駅まで行ってしまい、情けない思いに包まれて自宅まで歩いて帰ったこともあった。また、気がついたら列車は神通峡にさしかかっており、楡原駅で下車して中学時代の恩師の家でお世話になったこともあった。街灯の明かりでキャッチボールをした。いつも親身になって接していただいた亡き恩師との思い出は、今もかけがえのない心の支えである。

さて、最寄り駅から自宅までは徒歩で15分ほどの距離である。列車を降りて陸橋を渡る。かつては雑貨店や家具店などで賑わった駅前を抜け、小学校の頃から通い慣れた田んぼ道を歩く。子どもたちにとっては道草を食うのが日課であり、帰り道には沢山の遊び場があった。大寒の頃には降り積もった雪が凍ってその上を歩いて学校に行った。民家の軒先にあった大きなつららを取ってチャンバラごっこをし、田んぼで雪合戦にも興じた。破れた毛糸の手袋はたっぷりと水がしみ込み長靴は雪まみれ、小さな手足はかじかんでいたがお構いなしであった。

楽しかったことや辛かったこと、通学路にはかけがえのない思い出がある。今の子どもたちにも通学路での沢山の思い出を作ってほしいと思う。

写真:白黒の通学路の写真
通い慣れた通学路

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