令和6年能登半島地震備忘録~明日のために(1)~ 2024年2月5日

Xでポスト
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページ番号1014653  更新日 2024年2月5日

印刷大きな文字で印刷

令和6年能登半島地震において尊い命を落とされた皆様に哀悼の意を表するとともに、寒空の下、住み慣れた自宅を失い避難所などでの生活を余儀なくされている多くの皆様に心からお見舞いを申し上げます。

発災当初は、人命救助最優先の観点から、自衛隊や各省庁をはじめ消防や警察、災害派遣医療チームなど専門家が最優先で活動する「国主導のプッシュ型支援体制」が採られてきた。今後は、インフラの整備や生活復興に向け、自治体・民間企業・ボランティアなどによる息の長い支援が必要となる。

復興への道のりは長く険しいが、被災された方々の1次避難所から応急・仮設住宅や2次避難先となる近隣自治体への移動が進みつつあり、官民による本格的な支援が始まったいま、この大規模災害の顚末(てんまつ)を時系列で振り返り、「明日の羅針盤」となるよう皆さんとともに考えてみたいと思う。

令和6年元日の夕刻に能登半島地震が発生、新年の祝賀ムードとお屠蘇(とそ)気分を一瞬で切り裂いた。サッカー日本代表戦の画面が中断され、スタジオ中継に切り替わる。言いようのない緊張感が全身を包み込んだ。16時6分、「石川県に緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください!テーブルや机の下に隠れてください。」との第一報であった。16時10分、2回目の緊急地震速報が発表、今までに経験したことのない強く長い揺れに襲われた。アナウンサーが、「津波警報です。津波警報が出ました!今すぐ逃げてください!予想高さ3メートル。津波はすでに到達とみられます。今すぐ高い所へ、海から遠い所へ逃げてください!」と、今まで聞いたことが無い、叫ぶような強い口調で何度も何度も呼びかけた。市内においても沿岸部から高所へ避難する車両の大渋滞が発生した。

直ちに市役所に向かい、17時に庁内に災害対策本部を立ち上げた。1次避難所の開設を急ぐとともに、県警察や消防などとも連携しながら人命救助を最優先とし、人的被害の把握に加え、生活基盤である電気・ガス・上下水道・道路・橋梁(きょうりょう)・鉄軌道やバスなどの公共インフラや民間の被災状況の速やかな把握に努めるよう指示を出した。マンパワーには限りがあるが、市職員は東奔西走し身を賭(と)して対応に当たってくれた。

結果として、富山市全域84カ所の避難所を開設し、発災当日は一時的に約8,100人もの方々が市内外から避難されたが、開設が遅れた避難所もあった。避難所への支援物資の輸送は14班体制で臨んだが、完了したのは日付が変わるころだった。市域が広大な本市にとって、一度に多くの避難所を開設した場合の開錠・輸送・備蓄場所について、たくさんの問題点が浮き彫りになった。

東日本大震災を経て国土交通省東北地方整備局が編集した『災害初動期指揮心得』に、「備えていたことしか、役には立たなかった。備えていただけでは、十分ではなかった。」という教訓がある。大規模災害に対する備えを早急に再点検し強化したい。(つづく)

写真:水橋漁港視察の様子
水橋漁港視察の様子

ご意見をお聞かせください。

このページに問題点はありましたか?(複数回答可)

このページに関するお問い合わせ

企画管理部 広報課
〒930-8510 富山市新桜町7番38号
電話番号:076-443-2012
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。